日本の食文化には欠かせないごぼうですが、実は、日本史に出てくる武将にも、ごぼうにまつわるエピソードが残されています。
将門討伐のお守り?成田山の勝ちごぼう
平安時代中期、地方武士の平将門は、関東周辺で反乱を起こしていました。そこで朝廷が、この将門を討伐する役を命じたのが、武将・藤原秀郷でした。秀郷は将門を討つ際に、成田山新勝寺に訪れ、戦勝祈願としてごぼうを肴に酒宴を催したと伝えられています。その後、将門を成敗した秀郷は、再びごぼうで勝利を祝ったと言うのです。行きも帰りもごぼうで宴会。どれだけごぼう好きだったのでしょう、秀郷は。
この時に食べられたごぼうは、「勝ちごぼう」と呼ばれ、縁起物として現在も重宝されています。品種は「大浦ごぼう」と言い、今日では成田山新勝寺に奉納するためだけに、指定された契約農家のみが栽培を許されている門外不出のごぼうなのです。
大浦ごぼうは直径12~15cm、長さは1mにも達する大きなごぼうですが、やわらかい食感で煮物にして精進料理に用いられます。
成田山の宝、大浦ごぼう
秀吉も知らなかった堀川ごぼう
時代は下り、戦国時代を勝ち抜いた豊臣秀吉にも、ごぼうに関する逸話があります。天下人となった秀吉が造らせた豪華な大邸宅、聚楽第(じゅらくだい)は、豊臣家が滅亡した後は撤去されました。その周りを沿うお堀にはゴミが埋め尽くされたのですが、なぜかそこにごぼうの捨てられたとのこと。そして、翌春には太く大きく生長したごぼうが現れたのです。
人々はこれを「聚楽ごぼう」「堀川ごぼう」と呼び、聖護院大根、賀茂茄子、伏見唐辛子などとともに、京野菜の一つとして親しむようになりました。甘みが強く、濃厚なうま味をもつ堀川ごぼうは、料亭などで使用される高級食材です。
京野菜のナイスガイ、堀川ごぼう
大浦ごぼうにしろ、堀川ごぼうにしろ、何かラッキーな感じがしますね。ごぼうが縁起物として扱われるのも、こうした歴史の積み重ねがあるのかもしれません。
「今日はやってやる」というような勝負の日には、ごぼう料理を食べたり、ごぼう茶を一杯飲んだりして、ゲンを担ぐのも良いかなと思ってしまいます。